agattarisagattariの日記

良い子→東大→一部上場企業→都庁→パワハラで鬱→双極性障害→退職→障害者就労支援事業所→アルバイト→起業準備中 日々思う事を綴ります

入院6回目part3

52歳 (6か月5日) さいたま市 U病院

空きが無ければ転院先から戻って来れないよ、と脅されていたがなんとか同じ病棟に戻ることが出来た。ただ部屋は移動となり、統合の患者と境界性パの患者と一緒になった。これからまた半年入院が続くのだが、入院がここまで長期化したことには2つの理由がある。一つは主治医との関係。もう一つは退院後の住まいである。

旧館に入院中の主治医との面談は週1回約10分のみである。だから1週間分の体調などを細大漏らさず記録し、次の1週間の薬の処方を一緒に検討する。ところが元の主治医は多くの患者を抱え忙しかったのかもしれないが、その週1回の面談時間を守らない人だったのである。予定日の次の日に回診に来たりするのだが、今度はこちらが外出していなかったりする。すると面談が2週間空いてしまう。約束を守らないということで看護師たちも苦労していた。

自分もさすがに堪忍袋の尾が切れて、主治医を変えて欲しいと申し出た。同じ病院で主治医を変えるのはかなり難しい。その後も顔を合わせるし、あなたはじゃ駄目ですという烙印を押すようで気まずい。新しい主治医は70代の女性だった。極めてポジティブで患者を前向きにさせるのが上手い先生である。(今の主治医である。東大医学部出身、当時、女性はほとんどいなかったと思う。)

最初の面談の時、次の面談まであなたの薬歴を全部調べますと言って、実際そうしてくれた上で新たな薬を処方してくれた。抗うつ薬SSRIである。躁うつ病の患者に抗うつ薬の投与は躁状態に入りやすくさせるためしばしば危険を伴う。しかし自分の場合、躁に入る度合いが少ないため敢えて抗うつ薬を使ってみることにした。最近漸く抗うつ薬を飲むのを辞めたが、今のところ躁に入らないで安定を保てている。

もう一つが住まいの問題である。多くの患者が退院後にまず目指すのが精神病患者が集まって住み自立を目指すグループホームである。患者が自ら探すのは難しいため、病院のケースワーカーが代わりに探してくれる。ただ私の場合都内を希望していたので、さいたま市近郊の情報しかない中で、自ら外出時に探すしかなかった。(実家は近所に援助をしてくれる人がいないこと、周囲の目が気になること、設備が故障したこと等から住める状況にはなかった。)

グループホーム社会福祉法人NPO法人などが運営しているケースが多いが圧倒的に数が少ない。新設が少ないので設備が古い。問い合わせ先から空いているけど古いからお勧めしないとまで言われたこともある。グループホームの選択肢はなくなった。次にアパートを探して回った。嘘をつけない性格なので、不動産屋に精神を患って休職しているなどと言おうものなら、必ず大家から断られる。(本来はそのような差別は禁止されているが)アパートの選択肢もほぼなくなった。

結局姉が姉の自宅近くに住まいを確保してくれたお陰で何とか退院できたのだが、それでも精神疾患の患者が一人で生活をしていくとなる様々な困難を伴う。そこは昼間の居場所を確保したり、ヘルパーの方に家まで来て家事をしてもらったり、行政機関の様々なサポートが必要である。

今回で入院の記録は終わりです。合計で2年以上入院してました。これだけ入退院を繰り返してきた自分が、よく働くところまで回復できたと思っています。病識をきちんと持てたからだと思います。

躁で入院する1型の人の参考にはならなかったと思います。鬱のどん底にいる方は、必ず復帰できることを信じて療養を続けてください。今の主治医が合わないと思ったら、思い切ってセカンドオピニオンを求めることもありです。

(何かお聞きになりたいことがあれば非公開にしますのでコメントください。あなたが苦しみから解放されることを祈って。)

ユキワカ

よければポチお願いします。励みになります。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 躁うつ病(双極性障害)へ
にほんブログ村