agattarisagattariの日記

良い子→東大→一部上場企業→都庁→パワハラで鬱→双極性障害→退職→障害者就労支援事業所→アルバイト→起業準備中 日々思う事を綴ります

入院6回目part1

51歳 1年7日 さいたま市 U病院 (途中4か月22日で転院)

職場復帰失敗後、再び病院に舞い戻る。前回リーマスで上手くいかなかったので、第二選択肢であるラミクタールで挑戦。ラミクタールは皮膚炎の副作用が起こりやすいため、2か月間かけて薬量を徐々に増やしていく。

その当たりの情報をネットで調べ、主治医に対し意見していたので、主治医は不快に思ったのだろう。途中歯が痛くなったので診断書(外で受けるため)を書いてほしいと言っても、我慢できる?と言って書いてくれなかった。

一般的に精神科の病棟は急性期と慢性期に分けられ、3か月を過ぎると慢性期病棟に移される。病院側も回転を良くしないと儲からない訳だ。慢性期病棟は築年数の古い旧館が割り当てられている。そして私にも旧館に移動するよう命令が下った。

窓には錆びた鉄格子。病室の一部は畳部屋。酷いのがトイレである。患者定員16名に対し、和式と洋式の大便器が一つずつ、スペースがあまりにも狭くお尻を拭くのに立ったままでしか拭けない、あるいはドアを開けたまま拭く。真冬でもお湯が出ず、風呂は週2日。風呂場ではヘルパーの見守りが2人いてまるで収容所のような監視体制である。

新館に比べ、看護師やヘルパーの数が少なく、相談にはほとんどのってくれない。食事は2〜3週間がワンサイクルのため同じメニューが頻繁に出てくる。また、3階から1階まで自分で取りに行く。

皆が集まれるテレビの置いてあるスペースでのみ喫煙が許可されているのだが、吸わない人にとってはその唯一のスペースに近づくと喉が痛くなる。また、下手に麻雀ができるなどと言ってしまったものだから面子が足りない時の数合わせに使われてしまう。

この病棟に入院している人の期間の長いこと。1年、2年は普通、5年も普通、最長は20年くらいで、住民票も病院に移していた。

唯一救われたのがそこが開放病棟だったことである。(閉鎖病棟も隣にあるのだが、そこから出てこれる人の数は少ない)前日までに行く場所と時間を申請しておけば、朝食後の午前9時から午後7時まで外出することができた。自分は病棟内にいることがストレスだったので、いつもフラフラと外出していた。

とにかく退院の時期、退院後の生活は全く見通しがたたなかった。そんな中最後の切り札として電気痙攣療法にかけていた。

ユキワカ

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