一昨日の話ではないが、論破をするのは気持ちがいいだろう。ただ、論破された方はおそらく苦虫を噛み潰したような顔をすることになる。
日本はディベートの教育をしていないので、議論が下手である。それこそ相手の質問の本質が見抜けず、間抜けな返答をしてしまう。(ご飯論法が話題となったが、安倍さんは全体像を把握出来ず、質問の趣旨が理解出来ないのだと思う)
you tubeを見ていると、自分の中での論破王は橋下徹だ。結局、彼の発言は全て弁護士や大阪府市長の経験に基づいている。読書や信頼のおける人から聞いた話も、経験を追体験は出来る。しかし、所詮は追体験であり、実体験に比べれば説得力にかける。
刑務所に服役するのもなかなか体験できない。その点からすると、ホリエモンも凄いと思う。
終身雇用で一つの仕事を全うするのもある意味素晴らしいが、そういう人は余った時間で別の体験をしないと偏った人間になってしまう。その典型が教師であり、公務員であるのだが、こういう人程納得させるのが難しい。
最初に論破するのは気持ちいいとは書いたが、目的は相手をけちょんけちょんに恥ずかしめることではなく、相手が納得した上で、また相手の言っていることに少しでも理があるのなら、議論の中で修正して、お互いにとって身のある成果が得られれば一番いいのではないかな。
それと自分がやりくるめられそうになっても、けして相手を否定するのではなく、なるほどそういう考えもあるんですね、というくらいの器の大きな人の方が、論破力のある人より魅力的なんじゃないかと思う。
ユキワカ
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